ZENTOKU 2021年秋号
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04車両数も増えていった。その頃から行囊は郵袋と呼ばれるようになる。 全郵便輸送に占める鉄道の割合が最大だったのは高度成長期直前の1954(昭和29)年前後。高度成長期以降になると自動車などのモータリゼーションの波にに押され、鉄道郵便の割合は輸送距離・量は伸びても全郵便輸送に占める割合は、減少に転じた。 1960年代、国鉄が客荷(客貨)分離と輸送合理化を打ち出した。それまで郵便車は原則、旅客列車に連結され、ホームで積み降ろしをしていたが、旅客の輸送効率・円滑化を進めたい国鉄側にとっては、連結している郵便・荷物輸送がネックとなっていた。 国鉄の客荷分離は一定の成果を上げたが、荷物・貨物輸送は赤字であった。 そこで国鉄は1984(昭和59)年2月1日のダイヤ駅など主要駅で最終列車の終便式や鉄道郵便局の廃止式典が行われた。こうして1986年10月1日、鉄道郵便局、鉄道郵便輸送が完全に廃止され、明治5年に始まって以来、百十余年の歴史に幕を閉じた。船や航空機も活用道路輸送の時代 現在、郵便輸送はトラックによる道路輸送が中心だ。 全国各地の郵便局、ポストに投函された郵便物は、それぞれの地域にある主要局に集荷され、主要局からトラックもしくは航空便や船便を利用して届け先の主要局を経由し、さらに各地の郵便局から、各家庭・事業所に届けられる体制となっている。 1日の走行距離は、地球を8周する約33万キロ。改正で、荷物・貨物輸送の抜本的合理化を断行した。この合理化により、明治期以来の車中継送区分が廃止。また鉄道郵便の取扱路線、特に地方幹線とローカル線の多くが廃止された上、郵政省も鉄道郵便局の分局を廃止し、スピード等に優る自動車便へと、郵便輸送システムの大改正を行った。なお、主要駅には輸送センターという施設が設置され、多くの鉄道郵便局員が異動した。 やがて国鉄は、民営化を控えて荷物輸送の廃止を打ち出す。 1986(昭和61)年9月、汐留まさに郵便ネットワークの大動脈である。 また、トラックが郵便輸送の主役になると、集配の中継役を担う地域区分局は鉄道輸送をする上でメリットがあった主要駅前ではなく、高速道路のインターチェンジ近くに新設されるようになった。 なお、遠隔地や離島地域については、航空機や船舶による郵送が行われている。あらゆる輸送手段を使用し、郵便物やゆうパックが全国の皆さまの手元に届けられている。東京駅で鉄道郵便車へ郵袋を積み込んでいる様子。★1972(昭和47)年を製造初年とするスユ15型護送便(小包のみの郵送)専用車★超高層ビル群を走る高速道路専用自動車便(1985(昭和60)年)★島を巡る郵便専用船 ★

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