ZENTOKU 2021年秋号
2/16

特集東京ー大阪:創業時大阪ー長崎:明治4年末その他:明治5年7月石巻大間大間仙台福島磐城平水戸土浦敦賀長崎相川金沢福井東京東京西京新潟富岡越谷越谷結城甲府函館青森富山松本栃木高田高崎岩槻上田川越米沢会津大阪伊勢盛岡秋田山形酒田白河福島※総理府蔵「公文録」による02郵政創業150年に寄せて❷ 現在の「物流」を考える時、その礎には、明治時代の郵便輸送網の確立がある。 今日、葉書・手紙などの郵便物の輸送は漸減傾向にあるとはいえ、国内では年間152億通を超えている。郵便小包を含めると約196億通・個と膨大な量の郵便物が、宛先に確実に届けられており、「世界に冠たる郵便制度」と称される由縁である。 郵便局数約2万4000局、郵便ポスト数約18万本という数字が示すように、日本全国に隈なく張りめぐらされた郵便ネットワークは、「早く、確実に」繋がるために進化し続けている。(データは『情報通信白書』令和3年版(総務省)による)郵便輸送の150年明治初期の人力・馬車の時代から鉄道輸送、陸上(トラック)輸送、また離島などでは航空機・船舶も利用した輸送と、この150年で郵便輸送は大きな変貌を遂げてきた。「物流」の礎となった郵便輸送手段の変遷をたどりながら、郵便ネットワークの原点を探る。ネットワークの構築を支えたのは、郵便局開設とポストの設置 1871(明治4)年3月1日(新暦明治4年4月20日)、東京─西京*1(京都)間(72時間)、東京─大阪間(78時間)で結ばれ、日本における新式郵便制度が産声を上げた。 以後順調に郵便路線は西に延伸し、明治4年12月(新暦明治5年1月)には長崎まで拡大した。翌年7月1日(新暦明治5年8月4日)には北海道(函館)にも伸び、全国実施に至る体制を驚異的なスピードで構築していった。 短期間での郵便ネットワークの構築を可能とし★郵政博物館収蔵 「郵便取扱の図」に描かれた明治10年代の郵便物運送の様子。★ 「郵便取扱の図」は、明治期の郵便局窓口の様子や郵便局内外での作業風景を描いた絵図で、14枚からなる。日本の郵便取扱状況を広く世界に紹介するため、1884(明治17)年12月から翌年5月までアメリカのニューオリンズで開かれた万国博覧会に出品された。創業期における郵便網の拡大(「郵便取扱の図」より)★*1 「京」とは天子の住まいのある土地のこと。1867年11月9日(慶応3年10月14日)の大政奉還により、1868年9月3日(慶応4年7月17日)に江戸が東京と改称され、都(首都)として定められた。「明治」へと改元され、天皇が東京に入り、政府が京都から東京に移されたことで、京都との東西両京となっていた。当時、東京に対抗して京都を「西さい京きょう」と呼ぶ風潮も広まっていた。

元のページ  ../index.html#2

このブックを見る