ZENTOKU 2019年冬号
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カフェが併設されたギャラリーや中庭があり、コンサートや結婚式等のイベントスペースとしても活用されています。 さらに下関南部町郵便局から徒歩五分足らずで、旧逓信省下関電信局電話課庁舎にたどり着きます。ここでは竣工当初、男性職員は五〇名、交換手として女性職員一八五名が一日三交代制で勤務していました。職業婦人として時代の先端をいく仕事で、袴の生地を支給され、制服として着用していたとの記録もあります。戦火を免れ焼け残った建物でしたが、老朽化に伴い取り壊されようとしたところ、建築の専門家や市民の要望により、保存修理工事が施され、現在は下関市立近代先人顕彰館となっています。旧門司局長・髙野満さん。和布刈神社の最寄り局でもあるが、隣は平知盛の墓(伝)のある甲宗八幡神社。「歴史のある地域で仕事をしているのだと感じます。休日にはカメラを持って地域の史的な財産を撮影しています」。(和布刈神社の海の灯籠写真は髙野局長の撮影による)門司老松局長・吉本啓ひろしさん。「明治38年門司新町郵便局として開局したのが始まりです。昭和30年門司庄司郵便局として移転。昭和47年門司老松郵便局として現在の場所に新築移転しました。門司レトロ地区から徒歩10分ほどです。歴史ある地域らしく、地域の連帯感は強く、伝統を大切にする土地柄です」。和布刈神社。「和布刈」とは「ワカメを刈る」の意。毎年旧暦元旦の未明に3人の神職がそれぞれ松明、手桶、鎌を持って神社の前の関門海峡に入り、海岸でワカメを刈り採って、神前に供える「和め布か刈り神しん事じ」が行われる。和銅3(710)年には神事で供えられたワカメが朝廷に献上されているとの記述が残っている。関門大橋を望む。関門海峡は、海峡が狭く、潮の流れが速いだけでなく、潮の干満により1日に4回、潮流の向きが変わる難所であるが、瀬戸内海と東シナ海を挟んで中国や韓国など、東アジア諸国との往来に不可欠の航路であるため、タンカーなどの大型船を含め、ひっきりなしに船が行き交う。下関南部町郵便局。逓信省技師三橋四郎氏の設計による本格的ルネサンス様式の煉瓦造庁舎建築で、明治30年代前半における西洋建築意匠修得の技術水準を示す作品とされる。旧英国領事館。下関に英国領事館を置いたのは、駐日英国公使アーネスト・サトウの提案による。現在の建物は、明治39(1906)年の竣工。下関市の所有で、ギャラリーや喫茶室等として公開活用されている。旧逓信省下関電信局電話課庁舎(現在は下関市立近代先人顕彰館)。建設当時、窓枠に配管を施した防火流水装置(現在のスプリンクラー)が配備されており、放物線形状の塔屋には、その水を蓄えるための高架水槽が設置されていた。3階は休憩室として利用されていた往時の様子が再現されている。関門“ノスタルジック”海峡フレーム切手旧逓信省下関電信局電話課庁舎の斜向かいで書店(梓書店)を営む月岡智子さん。「詩人金子みすゞは、庁舎が完成した頃、下関で暮らしていました。当店でも、みすゞを扱った本を集めています。まちの本屋さんは経営的に厳しい環境ですが、特色のある書店は地域の個性を表す場でもあると思います」。12月には、旧英国領事館でイベントを開催。地域を盛り上げるのに一役買っている。下関名物・ふく刺し。下関では、縁起をかついで「ふく」と呼ぶ。ふく刺しも日本遺産の構成要素。05

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