ZENTOKU 2019年冬号
14/20

289︱3184千葉県 栄さかえ郵便局長金かな杉すぎ 光みつ信のぶ私が防災士資格を取得したのは平成十六(二〇〇四)年、消防団活動は平成二十一(二〇〇九)年、妻の実家(旭市)に住むようになってからの活動で、地元の人と交流を深めるために入団したのが始まりです。その間、役職も年数を重ねるごとに上位となり今では副団長の職にあります。 旭市の消防団活動は活発に行われており、組織も充実しています。なぜなら平成二十三(二〇一一)年の東日本大震災の際、大きな津波被害を受けた地域だからです。 郵便局で仕事をしている時に地震が発生し、市内の海岸地域が津波に襲われ被害が発生していると知らされ現場に駆けつけました。実際に目にし、あまりに無残な光景に愕然とするとともに、被災者の惨憺たる状況に、深い悲しみに襲われました。それでも津波警報が鳴り続く中、ひたすら人命救助と行方不明者の捜索を行いました。飯岡郵便局も津波被害で長期間営業不能となりました。その時活動をしながら感じたのは、消防団のボランティア精神の強さです。強い使命感と行動力で人命救助と被災者支援を最優先で行っ消防団活動と防災士ていました。被災者に食事は供給されても消防団には供給されないこともありました。商店にも何も残っていませんし、電気も水道も復旧していない状態で、皆頑張ってくれました。ひどい状況の中であっても懸命に活動を続ける団員の行動に対し、感謝と感動が胸に込み上げてきたことを今でも覚えています。 私は防災士の研修で多くのことを学ん消防訓練で地域の消防団員の仲間たちと。忘れてはならない2011年3月11日。2日後(3月13日)の飯岡郵便局。旭市飯岡地区の津波による被害状況(3月13日)。いと思っています。 しかし、その行動は一人ではできません。多くの方々の協力が必要です。消防団の幹部となった今こそ、防災士としての役割も効果的に果たすことができるのではないかと考えています。 今後も災害列島日本に住む地元住民の生命と財産を守るため自分でできる活動、行動を続けていきたいと思っています。頑張ってます! 防災士でいたはずですが、充分にその知識を生かすことができませんでした。その日以来、この悔しさを今後の消防団活動に生かしたいという思いが強くなりました。当地域においては、巨大地震、その後の津波はいつ起きてもおかしくない状態です。地震・津波が起きた時に何をすればいいのか、今更ながら改めて準備と行動、そしてそのための訓練について確認をしなければならな14

元のページ  ../index.html#14

このブックを見る