ZENTOKU 2018年秋号
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神子畑川にかかる神子畑鋳鉄橋は、橋長十六mの一連アーチ橋。日本に現存している全鋳鉄製*2の橋としては最も古いもので、昭和五十二(一九七七)年に近代の橋梁として東京都の八幡橋(旧弾正橋)とともに初めて近代化遺産に指定されています(昭和五十七年に保存のための解体復元の大修理が行われた)。 神子畑鋳鉄橋のある朝来市は、兵庫県のほぼ中央部に位置し、京阪神からは鉄道、高速道路等を利用して一時間半から二時間、また、姫路からはJR播但線や播但連絡道路等を利用して約一時間の距離にあり、但馬・山陰地方と京阪神大都市圏を結ぶ交通の要衝の地にあります。 生野銀山、神子畑鉱山、明あけ延のべ鉱山*3(錫・銅等)の三鉱山は古くから一帯的に開発が行われ、鉱山開発とともに街が形成されてきました。 神子畑鉱山は平安時代に開山した歴史を持ちながら、休山となっていましたが、明治十一(一八七八)年、鉱業の近代化を目指した明治政府により鉱脈が再発見され*4、生野銀山の支山として復興を果たします。 直轄の明延鉱山(養父市)から採掘された鉱石(錫・銅等)を選鉱場や生野精錬所まで輸送するため、明治十六(一八八三)年から二年の歳月をかけて約十六㎞の鉱石運搬道路を建設しました。手引車や牛車(一八九一年に鉄道馬車等のトロッコ用の線路が敷かれた)を通すため、鉱山開発などで呼ばれたお雇い外国人のフランス人技師の技術指導のもと、頑丈で錆びに強い鋳鉄橋が架けられました。総工事費は四万円。葉書一銭の時代です。 当時五つの橋が架けられましたが、現在は「神子畑鋳鉄橋」と移設・復元されている「羽淵鋳鉄橋」の二つの橋が残っています。 朝来市神子畑区区長であり、神子畑鉱石の道推進協議会会長でもある山内隆治郎さんによると「一八八九年パリ万博のシンボル、エッフェル塔を設計したエッフェル事務所は、橋梁建設、鉄橋建設に定評があり建設された時期も近いことから、何らかの関係のある技師が来日されてい横須賀製鉄所で製造されたといわれるが、「GLASGOW」の刻印らしきものが見える。一部をイギリスのグラスゴーから輸入したものか、今後の解明が待たれる。当時のイギリスは18世紀半ばから進展していた産業革命により製鉄技術が著しく発展していた。山内隆治郎さん。「皇室財産であったことを示す鋳鉄製『菊の御紋』が発見されました。父が残した記録から失われた橋(神子畑選鉱場へ向かうための二番目のつり橋)の主塔の一部であることが判明しました」*2 鋳鉄とは鉄を使った鋳物(合金)製品全般を指す。含有成分の割合、鋳造時の冷却速度や熱処理条件等によって、強度が様々に変化する。*3 明延鉱山は、養父市に属するが、神子畑鉱山から北西約6kmしか離れていない。奈良の大仏は明延鉱山から産出された銅が使用されているとの説がある。*4 明治政府に先駆け、「鉱山王」とも称された五代友厚(1836〜1885)が鉱脈探しを指示した文書が、2015年に発見されている。五代は、前島密より1年後に薩摩に生まれ、大阪経済を立て直すために、商工業の組織化、信用秩序の再構築を図ったことで知られる。二つのアーチを持つ羽淵鋳鉄橋。神子畑鋳鉄橋03

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