ZENTOKU 2018年夏号
5/20

文化財として知られる「男鹿のなまはげ*4」は、秋田市の西、日本海に突き出た男鹿半島で行われている民俗行事です。男鹿半島へは、ドライブルートのほか、左手に日本海を見ながら、八郎川橋梁を渡る男鹿線で、行くことができます。車両や駅名標にはなまはげが描かれています。 大晦日*5になまはげに扮した村人が家々を訪れ、「悪い子はいねがー」「泣ぐ子はいねがー」と大声を発しながら練り歩き、家に入って怠け者、子どもや初嫁を探して暴れます。家人は正装をして丁重にこれを出迎え、主人が一年の暮らしや家内安全などに感謝し、酒などをふるまってもてなし送り返します。鬼の面、藁の衣装をまとい、出刃包丁(あるいは鉈)を持ったなまはげは、幼い子どもにとっては恐ろしいものですが、本来は人間の怠け心を戒め、無病息災・五穀豊穣・山の幸・海の幸をもたらす、年の節目にやってくる来訪神です。なまはげが落としていった藁にはご利益があるとされています。 本来は未婚の男性がなまはげを務めていましたが、高齢化と人口減により担い手の若者が減ったことや、迎える側も旅行などで不在だったりと、暮らしに合わせ、なまはげ行事も変化しつつあります。 現在、伝統行事の保存と継承のため、全国十ヶ所で行われている「来訪神行事*6」を一括してユネスコ無形文化遺産に「来訪神:仮面・仮想の神々」として提案し、登録されることを目指しています。*6 男鹿のなまはげ(秋田県男鹿市)のほか、吉浜のすねか(岩手県大船渡市)、米川の水かぶり(宮城県登米市)、遊佐の小正月行事(山形県飽海郡遊佐町)、能登のあまめはぎ(石川県輪島市・鳳珠郡能登町)、見島のかせどり(佐賀県佐賀市)、甑島のとしどん(鹿児島県薩摩川内市(下甑島))、薩摩硫黄島のめんどん(鹿児島県鹿児島郡三島村(薩摩硫黄島))、悪石島のぼぜ(鹿児島県鹿児島郡十島村(悪石島))、宮古島のパーントゥ (「沖縄県宮古島市(宮古島)。 全国にわたる来訪神の民俗行事は、北前船など、船による伝播が有力と言われている。*4 冬、囲炉裏で長く暖をとっていると、手足に(低温やけど)ができる。これを方言で「ナモミ」と言い、怠け心を戒めるための「ナモミ剥ぎ」が「なまはげ」になったと言われている。*5 江戸時代には陰暦の小正月の小正月(1月15日)に開催されていたが、明治の改暦で、グレゴリオ暦の小正月(1月15日)に開催する例も見られるようになった。戦後は大晦日(12月31日)に行われるようになっている。男鹿市にある金かね川がわ郵便局・鎌かま田だ直なお哉や局長。趣味を活かし、男鹿半島・大潟のみどころをスケッチ。フレーム切手に採用された。「自然と伝統が財産の地域にあって、いかに地域の魅力を守りつつ発信していくかに心をくだいています。秋田名物ハタハタも、漁獲量が減ってきていたり、思わぬところで環境も変化しています」と語る。八はち郎ろう潟がた郵便局・千ち田だ博ひろ幸ゆき局長。男鹿半島の付け根にある八郎潟町。秋田県では一番小さな自治体で、郵便局は八郎潟郵便局と真坂郵便局の2局のみ。町のほとんどが開けた平地で、交通の便がよく、積雪や災害も比較的少ない。「派手ではありませんが、豊かな土地に恵まれた地域です。全国に発信する役割は郵便局が担っていると思います。今は枝豆の販売に力を入れています」と語る。写真左上:なまはげ縁の地とされる真山神社のある霊山の一画に建つなまはげ館。写真下:男鹿市内各地で実際に使われていた、なまはげ面150枚が一堂に会す展示は圧巻。岡本太郎が太陽の塔を製作するにあたり、啓発されたという面もある。なまはげ館に隣接する男鹿真山伝承館。真山地区で行われている大晦日のなまはげ行事の再現が行われている。男鹿市内13の郵便局では、「道の駅 おが」開業を記念して、各地域のなまはげ面をデザインした小型記念通信日付印を製作した(デザイナーは、地域おこし協力隊の大谷心さん)。かもめーる発売開始にあわせて「男鹿る小型印スタンプラリー」を企画した。金川郵便局八郎潟郵便局なまはげが描かれたポスト05

元のページ  ../index.html#5

このブックを見る