ZENTOKU 2018年春号
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日本橋南郵便局長・小林 徹さん。「3つの郵便局が統合してできた新しい郵便局です。全員が腰掛ける暇もないほど窓口は混雑しています。ありがたいことですが、郵便局の新しい商品をPRするにも余裕がないのが現実です。積極的応対ができる環境づくりを模索する毎日です」東京交通会館内郵便局長・黒澤修司さん。「パスポートの申請所のあるビルの中にある郵便局です。全国の物産店もたくさん入居しているので、いつも日本中からいらっしゃるお客さまで込み合っています。最近は外国の方も増えました。忙しい中でも、社員は皆笑顔を絶やさず応対してくれています。交通会館ならではのイベント、全国の郵便局から鉄道に関する切手やグッズを集めて販売するフェアは好評です」TEのビルに足を踏み入れると、アトリウムと称する巨大な吹き抜け空間が広がり、上部のトップライトから降り注ぐ光は時間と共にその表情を変えていきます。隈研吾氏*6らによる内装は、商業テナントが入る一階から五階まで使用される壁材等が階ごとに異なり、ビルの中にいながら自然を感じられる空間となっています。❖ ❖ ❖ 丸の内の駅舎から、地下の北側自由通路を抜け反対側に出ると、八重洲口*7。先に進めば日本橋へと通じています。五街道の起点として知られる日本橋ですが、現在の橋梁は明治四十四(一九一一)年に完成したもの。西洋的なデザインに、麒麟と獅子の青銅像や一里塚を表す松や榎木を取り入れた柱模様など、日本的なモチーフを加えた和洋折衷の装飾になっています。首都高速道路が橋の真上を通っていますが、現在、国土交通省、東京都などにより地中化計画が検討されています。 日本橋の橋のたもとに魚河岸があったことは歌川広重(初代)の浮世絵からも伺えますが、最初に置かれた郵便役所は、旧幕府の魚河岸の魚を納めていた魚類御用屋敷。大幅な改修も行われなかったため、夏場の暑さに加え、狭隘で閉口した様子を前島密は書き残しています。 明治七(一八七四)年、ようやく歌川広重(三代目)の版画にも描かれた近代建築の四日市郵便役所が建てられました。鉄鋼ビル郵便局長・髙山稚わか子こさん。「ビルの建替え時、郵便局は新しいビルになっても入居してくださいとオファーされたとのこと。伝統と絆の深さを感じました。条例で、サイン(看板)を外に出せないのですが、外に並ぶお客さまの列がサインになっていることも。長くお待たせしないように心がけています」*6 現代の日本を代表する建築家。木材を使うなど「和」をイメージしたデザインが特徴。建設中の新国立競技場の設計も担当。*7 八重洲の地名は、オランダ人ヤン・ヨーステンの和名「耶楊子(やようす)」に由来。慶長5(1600)年日本に漂着し、後に徳川家康の国際情勢顧問や通訳として活躍した。鉄鋼ビル郵便局の局名入りポスト型はがき0系新幹線電車のフォルムカード日本橋郵便局入口にある郵便発祥の地を示すプレート。通用口側には前島密胸像の台座に記されている。重要文化財に指定されている現在の日本橋。明治44(1911)年に完成。日本の道路元標があり、日本の道路網の始点となっている。八重洲口の名前の元になった「ヤン・ヨーステン」のレリーフ。八重洲中央通り日本橋三丁目交差点の中央分離帯にある。05

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