ZENTOKU 2018年冬号
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翔小学校のデザインを手掛けました。五層八角という奇抜なもので、地域の有志により建設され、屋根の形が似ているところから「こうもり傘学校」と呼ばれていました。大正三(一九一四)年老朽化のため取り壊されていましたが、昭和五十六(一九八一)年、外観を忠実に復元し坂井市の総合博物館「みくに龍翔館」として開館されました。三国を中心とした自然と歴史風土および文化遺産を紹介する施設となっています(表紙写真)。 北前船(五分の一スケール)模型や、三国祭りの山車が展示され、エッセルの息子のだまし絵等で知られるマウリッツ・コルネリス・エッシャーにちなみ、「みくにトリックアートコンペ」の入賞作品の展示なども行われています。 三国港突堤から徒歩圏内にある三国真砂局・岡﨑局長にお話を伺いました。夏の海水浴、花火大会、カニのシーズンなどは特に観光客で賑わうそうです。岡﨑局長は、地元のお客さまとの絆を深めるために、積極的に三国祭へ参加して大いに盛り上げているとのこと。局長になってから間もなくナホトカ号重油流出事件が起き(一九九七年)、バケツを持って必死に回収に当たったことも印象にあると言います。 突堤から内陸の福井平野に入り、丸岡市街地を東に進むと、小高い山に丸岡城が姿を現します。現存する天守閣では最古の建築様式を持つ平山城で、野の面づら積づみとよばれる石垣は、創建時のまま。別名「霞ヶ城」とも呼ばれますが、これは、合戦時に大蛇が現れて霞を吹き、城を隠したという伝説によるものと言われています。また「霞ヶ城」の別名どおり、春に満開の桜の中に浮かぶ姿は幻想的でとても美しいと評判です。 丸岡城の麓にある丸岡霞郵便局は、明治七(一八七四)年郵便取扱所として開設されたことに始まります。以来一〇六年にわたり丸岡郵便局(特定郵便局)として歴史を刻み続け、昭和五十五(一八七四)年、丸岡郵便局(普通郵便局)が新設されたことに伴い、丸岡霞郵便局として現在に至っています。山内局長は、伝統ある地域の特色を活かしながら、地域のお客さまと交流していきたいと思いを語ります。 丸岡城の北側には「一筆啓上賞」で知られる「日本一短い手紙の館」が建っています。手紙の手本とされる「一筆啓上 火の用心」から始まる手紙は、徳川家康の家臣で「鬼作左」と呼ばれた本多作左衛門重次が陣中から妻へ宛てたもの。この文中の「お仙」が越前丸岡藩の初代藩主本多成重でした。 旧丸岡町職員であった大廻政成氏の発案で、平成五(一九九三)年から始まった「一筆啓上賞」。手紙を文化として根付かせるには、入賞作品を常設展示する場が必要と論議検討が行われ、平成二十七(二〇一五)年に開館しました。出版された書籍でしか見ることができなかった入賞作品と、一筆啓上賞の歴史を一堂に見ることができます。また、聴いて観賞することもできるようになっています。東尋坊のフォルムカードとみくに龍翔館の風景印みくに龍翔館に展示されている北前船の模型。東尋坊の水墨画を背景に往時の隆盛を伝える。在りし日の旧龍翔小学校。(明治時代) 写真:みくに龍翔館所蔵三国祭の目玉は、武者人形を載せて奉納される山車。展示されている巨大な武者人形は、最大級であった明治末期のものを再現した。北前船で栄えた三国港が偲ばれる街並み04

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