ZENTOKU 2018年冬号
3/24

 *エッセルと同じオランダから招聘されたお雇い外国人。「砂防の父」として  土木史に偉大な足跡を残す。**明治11年一般の信書の料金(2匁)は2銭であった。治十五(一八八二)年、突堤を含む設備が完成し無事開港に至りました。突堤に使用された岩石は、東尋坊一帯から採取し、船で運ばれたもの。総工事費約三十万円のうち、地元商人が八万円**を負担した官民一体の事業でもありました。 明治十一年は、第二回万国郵便大会議がパリで開催され、日本代表が初めて参加した年です。当時パリでは万国博覧会も開催されていました。また、開港した明治十五年は郵便条例が公布された、郵便事業史上重要な意味を持つ年です。郵便創業十一年を迎え、事業運営の基本的事項が整ったことを踏まえて制定された条例でした。 エッセルは三国の地で、突堤の他に、龍設計者G.A.エッセルと工事を行ったヨハネス・デ・レーケを称えるレリーフ。民宿で見つかった当時の様子を伝えるスケッチ。資料提供:福井県建設技術協会十一月、越前ガニが解禁されると、多くの観光客で賑わう坂井市・三国港。江戸時代から北前船の交易と九頭竜川の舟運で栄えましたが、九頭竜川上流から運ばれる土砂で毎年のように河口が塞がれ、川の氾濫による洪水とともに、船の出入りに支障をきたしていました。地元の有力者の働きかけにより、明治九(一八七六)年、明治政府はお雇い外国人であるオランダ人技師ジョージ・アーノルド・エッセルを派遣しました。 明治十一(一八七八)年、エッセルは、オランダでの経験を生かし改修計画に着手。工事はデ・レーケ*のもとで行われ、冬季の荒天とコレラの蔓延で難航したものの、明国の天然記念物及び名勝に指定されている東尋坊。海食によって海岸の岩肌が削られ、高さ約25メートルの岩壁が続く。03

元のページ  ../index.html#3

このブックを見る