ZENTOKU 2018年冬号
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移転・開局当日 ロビーに入りきれないお客さまで一杯でした。移転・開局当日 開局セレモニーのテープカット988︱0817宮城県気け仙せん沼ぬま鹿しし折おり郵便局長加か藤とう 誠まことされてしまった中、郵便局の存在は地域の皆さまに渇望されていたこと、生活インフラの一つなのだと改めて認識した次第です。 しばらくは復興という名のもと、ボランティアの方々をはじめ、かさ上げ工事に従事する方などでにぎわいをみせていましたが、二〇一八年、少し離れた旧市街地にマンションタイプの『災害公営住宅』が八棟完成し、仮説住宅から集団移転となり、局の置かれた環境も変化してきています。気仙沼鹿折郵便局は駐車場も広く、多くのお客さまにご利用いただいているのですが、郵便局が今後も地域に寄り添っていくためには、何をすべきか常に考え続ける毎日です。 三年前から、しばらく参加を見送ってい あの二〇一一年三月十一日からもうすぐ七年です。当時、私は港に近い気仙沼魚市場前局に勤務していました。尋常ではない長い揺れを感じ、停電。社員に避難指示を出し、高台にある小学校に避難し、そこから郵便局が津波に呑み込まれていくのが見えました。 それからは、全壊流失してしまった郵便局の局長や社員を、無事だった郵便局へ振り分け、主に通帳や証書の再発行、ゆうちょの払出し等の非常取扱いの処理に追われました。停電が続く中での業務、つまり明るいうちに行わなければならないということもあって、無我夢中で仕事をするうちに毎日が過ぎていきました。落ち着くまで、半年はかかったのではないでしょうか。 やがて、住民の方からの強い要望もあり、二〇一二年十二月二十一日、津波被災により閉局していた『気仙沼浜町郵便局』を移転し、『気仙沼鹿折郵便局』と局名を変更して開局しました。生活の全てが津波に流復興する郵便局の今3失ってわかる「当たり前の存在」としての郵便局た「気仙沼みなとまつり」に再び参加しています。参加するのは「はまらいんや踊り」です。「はまらいんや」とは、気仙沼弁で「一緒に仲間に入りましょう」という意味です。チームを組み、思い思いの振りで踊り歩きます。エリア内の社員にも呼びかけたところ、五十名ほどが集まってくれました。背中に『郵便局』の文字を入れた『長袢纏』を新調し、地域イベントに参加することで『郵便局社員』として地域と共生している誇りと喜びを感じています。 復興したと言える日は、まだまだ遠いことでしょう。しかも、以前と同じ日常に戻ることはありません。新しい環境の中でも常に「あなたのまちの郵便局」でありたいと願っています。震災当時の鹿折地区 気仙沼浜町局付近現在の鹿折地区 郵便局から東へ800m離れた旧市街地には、災害公営住宅が建ったが、周辺は6年経った今も未だに復興途中。21

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