ZENTOKU 2018年冬号
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332︱0032埼玉県 川かわ口ぐち青あお木き五ご郵便局長高たか野の 善よし夫お震災の二ヶ月後、平成二十三年五月の連休に生涯初のボランティア活動のため局長、社員四名でいわき市に向かいました。連日の報道で被災地の状況を頭では理解していたものの、発災から二ヶ月経過してもなお、家屋に車が突っ込んだままの状態や居住不可と赤色の紙を貼られた家、道路脇の瓦礫の山、そしてヘドロの臭い、そんな中でも住民の皆さんは黙々と片付けや清掃をしていました。我々が派遣された現場は、四倉中学校のプール脇に流れ着いた瓦礫の撤去作業でしたが、手でヘドロと混ざった砂を掘り起こすと、貯金通帳や印鑑、写真や手紙、食器や箪笥など、ありとあらゆる生活の品々が姿を現しました。 一瞬で生活が一変してしまった住人の無念を思うと、涙が溢れ無心に瓦礫と化した生活用品を掘り出していました。一緒に作業をした約三十人のグループは、リーダーが休憩や作業の割振り、瓦礫の分別等を仕切り、その指示に従い時間内に完了でき、皆で達成感を味わいました。いわき市はボランティアが不足していると東日本大震災復興支援ボランティア活動平成24年5月 南三陸町災害復旧ボランティアセンターにて局長及び社員有志報道されていましたが、わがグループは、日本中から集まっている志の高いメンバーでした。自らも被災者である方に、当時の状況を聞き、報道されていない現実を目の当たりにし、大地震に伴う大津波の恐ろしさを改めて知りました。 六月以降郵便局仲間で有志を募り、貸切りバスや自家用車を連ねて仙台、石巻、南三陸、そして現在は南相馬市へと繁忙期を除き毎月、復興支援ボランティア活動を継続しています。被災地に赴き被災者の話を聞き、瓦礫と化した街を見、多くのボランティア仲間と出会いました。津波に家族を奪われ、家を流され避難所暮らしの方も、感謝の気持ちを口にされます。こちらが恐縮してしまい、今でも当時を思い出すと胸が張裂けそうな思いです。 時が経つにつれ、瓦礫撤去などから、生活復旧のための作業に変化し、今では避難指示が解除されて自宅に帰るための準備を手伝っています。庭の草刈、木の伐採、家財の整理等、六年以上放置された家は、実際に生活できるようになるまで時間も手間もかかるので、少しなりともお役に立てる頑張ってます! 防災士平成26年9月 広島市安佐南区災害復旧ボランティアセンターにて局長及び社員有志よう、気持ちを込め南相馬に通っています。東北の被災地以外に、広島土砂災害、鬼怒川氾濫土砂災害、熊本地震と自然災害の惨状を、ボランティア活動を通じて見聞きしてきました。人間が自然の脅威に勝ることは出来ませんが、知恵と工夫で被害を減らすことは出来ます。防災士として地域の減災に役立てるよう、地道な活動を継続したいと思います。平成28年5月 熊本県益城町災害復旧ボランティアセンターにて局長有志18

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