ZENTOKU 2017年秋号
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祝い綱)と呼び、これに対して当時、旧八月十五日夜の綱はニーセージナ(青年綱)と呼ばれていました。 真栄里大綱引きで綱を引けるのは、真栄里に住んでいる人、同村出身者、真栄里に嫁いだ人に限られていて、その日ばかりは県内外で生活している出身者が帰省し参加するほか、学校も授業を短縮し児童生徒を参加させるなど、活気溢れる大行事です。 集落を門中(父系血縁親族)によって東(アガリ)西(イリイ)に二分して行われます。旧暦の八月一日に東西の役員や年配の方々がそれぞれの祖先の拝所に、今年の勝利と無事に行事が終わるようウガン(祈り)を二十数ヶ所で一日かけて行います。綱作りは総出で東西五十五mの綱を作り本番を迎えます。 当日は西組と東組に分かれパーランクーや銅ど鑼らが鳴り響くと旗頭が放つ紙吹雪が舞う中を棒旗、獅子舞などに先導されてシタクが登場し両組の綱がカヌチ棒で貫かれると一気に綱の引き合いが始まります。その後男たちのガーエ(激しくぶつかりあう)や棒術を行い勇壮さ、力強さを披露します。 現在私は内訳人(西側の責任者として交渉事や審判)として携わっています。後継者問題など困難な点も多いのですが、各人が伝統行事の担い手であることを自覚し継続して子々孫々引き継いでいきたいと思います。迫力満点!! 大綱引きわが地方のおすすめ逸品沖縄のガラス製品は、約一〇〇年前の明治中期頃、長崎や大阪のガラス職人によって導入され、「石油ランプのホヤ」、「菓子瓶」などの生活必需品を造っていました。しかし、工場は第二次大戦で廃墟と化し、戦後米軍施設から出てくるジュース、コーラ等の空瓶を活用して再開されました。当時は、米軍属の方が主客であり、デザインも外国の方が好むようなものでした。その後沖縄県の本土復帰を境に主客は観光客へと変わり、現在では廃瓶を利用せず、原料調合による、質的に向上した琉球ガラス商品として提供しています。また、着色にもさまざまな技法を取り入れ、その独特な造形美と相まって、暮らしの中にとけ込む光の芸術品として広く認められるようになりました。901-0305沖縄県糸いと満まん西にし崎ざき局長高たか安やす 勝かつ雄お糸満市の琉球ガラス17

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