全特 2017年2月特別号
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東北(現在の宮城県多賀城市付近)を結ぶ道がありました。それが東山道です。大和朝廷が地方を従わせるためにつくったとされています。 阿智村と岐阜県中津川市の境には、その東山道最大の難所といわれた神坂峠があります。現在は中央自動車道の恵那山トンネル(長さ約八・五キロ)が通っています。 東山道の昼神温泉郷の奥・神坂神社から神坂峠までは、ハイキング道として整備されています。神坂神社から峠まで歩いて約三時間。初秋の一日、冬の陽だまりトレッキングを楽しんでみました。 起点となる神坂神社周辺には、名所・旧跡もたくさんあります。まず、信濃比叡。もとは廣拯院と呼ばれる往時の峠越えの無料宿泊所でしたが、根本中堂には延暦寺から分灯されて一二〇〇年、絶やさず灯し続けられてきた「不滅の法燈」があります。 信濃比叡と道を挟んだ向かいには村営の東山道・園原ビジターセンター「はゝき木館」があります。企画展を催しているほか、土産物もカフェもあるので、立ち寄ってみるとよいでしょう。 小さいながら杉や栃の巨木の聳える森閑とした神坂神社の境内の脇を抜け、ハイキング道を登ります。難所越えといっても、道は整備されているので初心者でも安心。振り返ると、樹間から阿智村の雲海を望むこともできます。 三時間ほどハイキング道を登ると、富士見台高原の一角、萬岳荘という宿泊施設にたどり着きます。萬岳荘から南に舗装された道を一五分ほど歩くと、旧神坂峠。刈り払われた小さな園地には、「神坂峠遺跡」を示す石碑が建っています。南信州の山村が発信する戦渦の歴史満蒙開拓平和記念館 地域創生に欠かせない視点の一つに、何を軸として創生するのかという課題があります。阿智村にとっては「星空日本一」や「花桃」がその軸であり、昼神温泉郷もその一つでしょう。大事なことは、村にとっては目新しくはなくとも、自分たちの発見したそれらの軸を大事にし、育てていくことです。まさに、地方創生の事業とは、「発見と育成」にあるのかもしれません。満蒙開拓平和記念館もそんな「発見と育成」の一環というとらえ方で見て回るのもよい施設です。 オープンしたのは、実際に開拓団が渡っていった昭和初期から八十年近くが経ったつい最近、二〇一三年のこと。「南信州が全国で最も多くの開拓団を満州・蒙古に送り出したことを記念し、歴史や関連資料の記録・保存・展示・研究を行うとともに、後世に正しく歴史を伝えるための拠点」として設立されました。場所は阿智村の駒場地区、少々わかりづらいところにあります(長野県下伊那郡阿智村駒場七一一番地一〇、電話0255―43―5580)。 展示は常設展と企画展があります。常設展は、現代から戦前へ、日本から満州・蒙古へ、さながらタイムトンネルを抜けるかのように満蒙開拓団が海を渡った当時にさかのぼり、そこから映像や写真、パネル、絵画、開拓体験者の手記、各種資料、模型などさまざまな手法で当時の満州の様子、開拓団の生活、敗戦後の逃避行や引揚げ、残留の労苦などを伝えています。それらは一言でいうと、「戦争が後世の人たちの人生に残した傷跡」ということができます。 一方の企画展は、記念館の主旨に沿ったものを適宜、開催しています。4564満蒙開拓平和記念館 長野県・南信州、飯田地方に多かった満州・蒙古への開拓団を記念し、後世に歴史を正しく伝える拠点としてオープンした満蒙開拓平和記念館。午前9時30分~午後4時30分の開館(火曜定休)。個人の見学者はもちろん修学旅行・平和研修など団体での利用も多い。5ヘブンスそのはら 冬季のナイトツアーでは、富士見台高原ロープウェイの乗り場前の広場で、日本一の星空とプロジェクションマッピングなどの光の演出によるショーのコラボレーションが楽しめる。演出のあとの消灯では、満天の星空に歓声や感嘆のため息も……。6阿智郵便局 阿智村には五つの郵便局があり、地域住民の郵便物の集配のほか、産直品の物販など、地域の拠点としての役割を担っている。局の前には阿智村出身の写真家・童画家である熊谷元一によるわらべ唄「石屋さこまんば」の石碑がある。08

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