全特 2016年10月秋号
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(上2点)軍港横須賀を象徴する日露戦争で活躍した記念艦三笠。往時の威容を誇る艦内も見学できる。旧浦賀ドックは世界に4ヶ所にしか現存していないレンガ積みドライドック(現在非公開)。幕末に日本へ招かれた外国人技術者・ヴェルニーの名を冠したヴェルニー公園から望む現在の横須賀港(下)。春と秋には色とりどりのバラが咲き誇る。鉄所(造船所)を作り上げ、首長として活躍、日本近代工業化の基礎を作ったヴェルニーの記念館があり、軍港を巡るクルーズ船も運航しています。ペリー来航で知られる浦賀は、観音碕燈台からやや南下し、久里浜湾を臨むところにあります。 浦賀は古来より水軍の基地として栄えてきました。源頼朝が鎌倉に幕府を開いてからは、要港としての重要性を増し、江戸時代には、肥料として重宝された干鰯の積み出し港として、問屋が軒を列ね、隆盛を極めていました。 一七二〇年には奉行所が設置され、江戸へ出入りする船をすべて「船番所」で検査する体制が整えられました。江戸後期になると、外国船が通商を求めて浦賀沖に出没するようになります。そして、一八五三年、黒船が来航し、時代は一気に開国へと進んでいきます。それと同時に、現横須賀市東側の港湾は、日本から世界の港へと発展していったのです。咸臨丸がアメリカに向けて出航したのは浦賀港でしたが、深さと湾の大きさから、横須賀港には、日本最初の西洋式造船所として横須賀港造船所が建設され、要港としての役割は横須賀港へと移ってゆくのです。写真協力:横須賀市、住友重機械工業株式会社横須賀市のある三浦半島西海岸は、遠くに富士山が望める自然のままの海岸線が残る美しい海岸として知られている。特に海に沈む太陽が海と空を茜色に染める夕景は必見。03

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